いざわんquality2020

2020年1月12日に開設しました。

教員採用試験を受験するにあたり

バッドエンドに抗え!レジスタンスのいざわんです。

 

7月12日に教員採用試験を受けるにあたり、

これまでの経緯と、

いくつかの考えをここに残したいと思います。

 

駄文であり長くなると思いますが、

もし最後まで読んでくれる人がいるならば、

ああこう考えてるんだなあって思ってもらえれば幸いです。

 

尚、初めて言うことも沢山ありますが、

引かないでください笑

 

 

先生になりたいと考えたのは、幼稚園からであり、

優先放送の「僕の夢私の夢」で、

おもちゃやゲームを考える人か、

先生かで悩んだものの、

校長先生になりたいと言った同組の子を意識し

前者を選んだ。

 

それから、一時、本屋になりたい、実況アナウンサーになりたいと考えながらも、

常に先生になりたいと考えてきた。

 

大学進学も、当然教職を目指した。

千葉大学AO入試に落ち、

東京学芸大学を受験するも落ちた。

センターでやらかしていたため、

記念受験ではあったのだが。

 

行った大学では、

希望した国語の免許が取れなかった。

これも今思えば、センター翌日の担任との面談の中で、希望をしっかり言えば良かった。

 

仮面浪人も考えつつ、

キャンパスライフは楽しかった。

幼小を考えるも、

幼稚園は男はバスの運転手になるのがオチだと言われ、

学部に3人しかいなかったが小中(社会)の免許をとることにした。

 

大3の時、

数少ない埼玉の養成セミナーの権利を確保した。

面接で99%受かると言われたが、

落とされた。

学校枠は2であり、他の人に譲れば良かったと後悔した。

 

当時のゼミの先生に心配され、

毎週カウンセラーさんに見てもらうことになった。

脳に異常があるんじゃないかと言われた。

これは、個人的にショックだった。

多分、誰にも話したことがないから、

大学で見かけた人以外は知らないだろう。

 

実際に数値的には問題なかったが、

1年間続いた。

 

思えば、高校の時も休み時間は、

保健室にいた。

だから苦ではなかったが、

一定数の先生からこうしたレッテルを貼られたことに対して、

僕は傷ついた。

 

そして、小学校の教育実習では、

道徳の授業で波乱がおきた。

小学校側からは最低評価を受け、大学側が問い合わせる事態に。

これも、大学1年からお世話になっていた小学校で実習できなかったことが、

こうした問題を引き起こしたとも言える。

 

現場の先生が集まる道徳の研究会に参加し、

あの授業は間違っていなかったと確信した。

そして、相談した。

 

中学校の教育実習は母校で行えた。

お世話になっていた先生が校長先生であり、

非常に楽しかった。

ただ、もうこの時には決めていた。

2016年度の小学校の教員採用試験を受けないことを。

 

 

卒業し、ADでズタボロになり、

塾講師のバイトに戻った。

 

塾講師仲間が通信大学の話をしてくれた。

 

2018年3月6日。

高校時代の国語教師に相談に乗ってもらった。

これは、LINEのタイムラインで僕が馬鹿をやらかしたことがキッカケである。

 

4月、通信大学への許可証を塾長に書いてもらい、5月に入学となる。

これを機に、今の学校居酒屋で働くことを始める。

 

当初は2年での卒業を考えるも、

教育実習(高校)の予約が1年前であることが途中で判明し、

19年5月に教育実習の打ち合わせをし、20年に実習、21年3月に取得のプランとする。

 

19年11月29日 今年度卒業の話が出る。

母校(大学)と通信大学を毎週行ったり来たりする。

12月6日 教育実習が白紙に。

12月12日 通信レポート全提出

12月24日 今年度での卒業(退学)が決定

 

2019年末、

急遽2020年の教採を受けることをきめる。

 

 

ただ、実際に2年間勉強している中で、

教育は学校の教員だけが教えるものではないことや、

公立の先生は絶対嫌だと考えるようになった。

 

そして、一度身障だと言われてから、

ただでさえアトピーで苦しんでいたこともあり

なんで、いつも拘束されているんだろうと

思うようになった。

 

たしかに五体満足である。

もっと大変な人は世の中に沢山いる。

じゃあ、満足なら、

やりたいことをやりたいよ。

 

人に指示されてそのように動いて、

周りが喜んでくれるからと頑張って、

青春時代を棒に振った。

僕の振る舞いは、誰かを助けたか?

助けたかもしれないが、それは分からない。

ただ一つわかることは、僕は後悔している。

 

なんで若いうちにいっぱい遊べなかったのかと

 

根は真面目だった。

真面目キャラを貫くために、

生徒会に入ったり、委員長になったりした。

それも全て、素の自分を偽っていたのかもしれない。

ただ、周りから見れば、

いい風に使われていただけかもしれない、と。

 

 

少々、いやかなり脱線したが、

今はやりたいことをやっている。

そんなワガママな僕と、

仲良くしてくれる人もいる。

このブログを読んで縁が切れたらそれまでだが、

今は多少マシな人間にはなっていると思う。

 

そんなことを考えた時、

果たして「僕」は、

「教師」という職業が向いているか。

 

答えは言わずもがな「NO」である。

 

 

じゃあ、なんで受けるのと。

辞めたらいいじゃんと。

 

大学の時、

小学校の採用試験は受けずに終わってしまった。

周りが受ける中、僕は逃げたとされた。

 

なんだか後悔が、モヤモヤが、

卒業してからずっと残っていた。

 

一度受ければ、スッキリするんじゃないかと。

受かろうが落ちようが、

受けたという証が、ただ自分には欲しいのだと。

 

馬鹿だと思う。

ただ、受けると決めた以上、

やれることはしたい。

だから1月から準備をしてきた。

 

1次受かったらどうしよう。

2次に行けたなら、

先生という選択肢も…と考えることもある。

ただ、後先考えず、

1次の筆記を頑張ってみようと。

 

ダメならダメで、教員を諦める。

生まれて20年近く夢でいた教員を。

 

ただ、他にも活かせることは間違いなくある。

前述したように、学校が全てじゃないと。

 

受かったら自信になるだろうか。

 

合否関係なく、得られるものはあるから、

教員採用試験を受験する。

 

だから、

教員になりたいということに対しては、

申し訳ないけど中途半端な気持ちなんだ。

 

でも、

こうして応援してくれる人がいるから、

全力で頑張る。

 

 

 

多分、教員という「肩書き」が欲しかっただけなのかもしれない。

僕も、もう27。

そろそろ現実を見ようと思う。

 

ただ、誰に違うと言われようが、

やりたいことはやりたいからやるつもりだ。

 

 

こんな僕だけど、許してください。

頑張って、成長していくからさ。

自分らしく。

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