いざわんquality2020

2020年1月12日に開設しました。

信じる。

バッドエンドに抗え!レジスタンスのいざわんです。

 

信じるところに現実はあるのであつて、

現実は決して人を信じさせる事が出来ない。

 

これは、太宰治の『津軽』の一節。

 

仕事において、一番大事とされている人間関係。

人を信じ、共に働き、高め合い……

そんな職場には、未だ巡り合えていない。

 

いや、僕が人を信じられないから、

そんな邪(ヨコシマ)な目で見てしまうのかもしれない。

 

 

前回述べた大学の事件から、

人を信じることが怖くなった。

 

卒業して間もないAD時代、プロデューサーとディレクターは仲が悪く、そこに放り込まれた。

挨拶がない。顔を合わせてくれない。

お前のためだと強要される。

休みの日に鳴り響く電話。

信用できる要素がなかった。

だから嘘をついて、自分の時間を作った。

ただ、罪悪感に苛まれた。

間に合わなくなって、ミスが二重三重に重なり

現実がわからなくなった。

 

 

塾に関しては、

生徒に信頼されるために、

アトピーは大敵だった。

生徒から臭い、集中できないと個人的に手紙をもらったこともある。

当時は1日風呂2回洗濯2回やっても、無理だった。それだけ酷かった。

今も迷惑だと感じているにもかかわらず、

言わずに付き合ってくれている人がいるんだと思うと、

毎回申し訳なくなる。

 

今年の夏は、大丈夫だといいな。

 

 

今のお仕事は、ライアーゲームである。

まさに騙し合い。とまでは言い過ぎだが、

事実は何もない。

人を信じていては潰される。

そんな人を何人も見てきた。

最後は潔く潰されようと。

そうも考えたが、

それでは勝手が付かない。

僕も加害者であり、被害者である。

止めたところで全部筒抜けなのだ。

大事な話は忘れ去られるのに。

 

 

これまでの経緯から、

信じることが下手な人間になった。

パワプロで言えば「信じる×」という特殊能力が付くだろう。

もちろん、信頼関係のある人であればそんなことはない。

ただ、つい疑ってかかってしまうのだ。

 

友人に財布から尽くお金を盗まれ消息が途絶えたり、悪徳業者の罠に引っかかったり、

僕は流されやすいと大学時代に気づいたから。

 

とは言え、流されやすさも今も変わりはなく、

ついやってみなよと言われればやり、

見事に沼にハマっていく。

これは「芸術的流し打ち」の特殊能力をつけてほしいレベルである。

 

周りから見れば、コイツ軽いなあ。

流されてるなあ。と、

間違いなく思われているだろう。

 

はい、そうです。

 

ただ、今が楽しいから。それもいいかなって。

新しいこと沢山知れるし、

時には地雷踏んで1ヶ月近く反省するけど、

それも自分かな。と割り切っています。

 

現実を見つけるために、

まずは自分を信じることから始めていきたい。

自分が信じたことが現実ならば、

今からでも自らの視点において、

これから自分らしい世界を作っていけるのかもしれない。

 

 

上辺だけの人間関係なんてつまらないよ。