バッドエンドに抗え!レジスタンスのいざわんです。
信じるところに現実はあるのであつて、
現実は決して人を信じさせる事が出来ない。
仕事において、一番大事とされている人間関係。
人を信じ、共に働き、高め合い……
そんな職場には、未だ巡り合えていない。
いや、僕が人を信じられないから、
そんな邪(ヨコシマ)な目で見てしまうのかもしれない。
前回述べた大学の事件から、
人を信じることが怖くなった。
卒業して間もないAD時代、プロデューサーとディレクターは仲が悪く、そこに放り込まれた。
挨拶がない。顔を合わせてくれない。
お前のためだと強要される。
休みの日に鳴り響く電話。
信用できる要素がなかった。
だから嘘をついて、自分の時間を作った。
ただ、罪悪感に苛まれた。
間に合わなくなって、ミスが二重三重に重なり
現実がわからなくなった。
塾に関しては、
生徒に信頼されるために、
アトピーは大敵だった。
生徒から臭い、集中できないと個人的に手紙をもらったこともある。
当時は1日風呂2回洗濯2回やっても、無理だった。それだけ酷かった。
今も迷惑だと感じているにもかかわらず、
言わずに付き合ってくれている人がいるんだと思うと、
毎回申し訳なくなる。
今年の夏は、大丈夫だといいな。
今のお仕事は、ライアーゲームである。
まさに騙し合い。とまでは言い過ぎだが、
事実は何もない。
人を信じていては潰される。
そんな人を何人も見てきた。
最後は潔く潰されようと。
そうも考えたが、
それでは勝手が付かない。
僕も加害者であり、被害者である。
止めたところで全部筒抜けなのだ。
大事な話は忘れ去られるのに。
これまでの経緯から、
信じることが下手な人間になった。
パワプロで言えば「信じる×」という特殊能力が付くだろう。
もちろん、信頼関係のある人であればそんなことはない。
ただ、つい疑ってかかってしまうのだ。
友人に財布から尽くお金を盗まれ消息が途絶えたり、悪徳業者の罠に引っかかったり、
僕は流されやすいと大学時代に気づいたから。
とは言え、流されやすさも今も変わりはなく、
ついやってみなよと言われればやり、
見事に沼にハマっていく。
これは「芸術的流し打ち」の特殊能力をつけてほしいレベルである。
周りから見れば、コイツ軽いなあ。
流されてるなあ。と、
間違いなく思われているだろう。
はい、そうです。
ただ、今が楽しいから。それもいいかなって。
新しいこと沢山知れるし、
時には地雷踏んで1ヶ月近く反省するけど、
それも自分かな。と割り切っています。
現実を見つけるために、
まずは自分を信じることから始めていきたい。
自分が信じたことが現実ならば、
今からでも自らの視点において、
これから自分らしい世界を作っていけるのかもしれない。
上辺だけの人間関係なんてつまらないよ。